卵を見て時夜を求む

『卵を見て時夜を求む』(たまごをみてじやをもとむ)とは、非常に気が早い様子を表したことわざである。「時夜」とは鶏が夜明けに鳴いて時を告げることを指しており、まだ雛にもかえっていない卵を見て、鶏になった時のことを想定し時を告げるのを待っている様子を例えているのである。しかし、物事には順序というものがあり、急にそうなるわけではない。つまり、今そのことを考えても仕方ないということを言っているのであろう。非常にせっかちな人に対して使用することもある。逆に、心配ごとをする悲観的な人にも使えるだろう。先に何が起こるかもわからないのに心配していても無駄である。また、結果を急ぎ期待するのも良くないだろう。先もわからないのに早とちりしてしまうのは危険でもある。そして、期待が大きければ大きいほどそうならなかった場合のショックは大きいものである。期待はほどほどにしておくのが無難であるということを言っているのであろう。