故の木阿弥

『故の木阿弥』(もとのもくあみ)とは、悪い状況が一時的に良くなったのに、再び悪い状況に戻ってしまう様を表したことわざである。筒井 順昭が戦国時代の大名だった時代、順昭が死去した時に跡継ぎである順慶が幼かったために、木阿弥という順昭の声に良く似た人物を変わりに立て、暗い部屋に寝かせて順昭が亡くなったことを隠し通した。そして順慶が成人して、順昭の死を公表するとそれまで身代わりをしていた木阿弥は、元の身分に降ろされてしまったことから由来しているという。せっかく一時は、身代わりであっても大名という地位に立つことができたのに、何事もなかったかのように元の身分に戻されてしまうというのは辛いものである。身代わりの役を果たすのも苦労があっただろう。その苦労が無駄になってしまうことを表したことわざでもある。類似した慣用句に『水の泡』という言葉がある。水面に浮かぶ泡は儚く消えてしまうものであり、その泡のように努力の甲斐がない様子を表している。